2006年02月18日

ルー・サロメ(1977,イタリア)

大昔に「愛の嵐」を見た時、単なるヴィスコンティの亜流じゃんとか思って、それきりリリアナ・カヴァーニの映画は見てないが、某映画館でかかっている「ルー・サロメ」で久しぶりにこの人(女流?名前から判断するにそうだよね)の作品にご対面だ。
もしかしたら昔の自分の感性が未熟で理解できてなかっただけで、実は優れた作品を撮る監督なのかも、と一抹の期待をもって見てみたが、当時の自分の印象の正しさを再確認する結果となった。これはクソだぜ。

時は19世紀。フリードリヒ・ニーチェと弟子のパウル、そして二人をたぶらかす娼婦的なロシア娘ルー・サロメ(ドミニク・サンダ)の性的に退廃した共同生活を描く、という、いかにもヴィスコンティの亜流な設定なんだけど、ヴィスコンティのオーセンティックなデカダンスからはかけ離れた最初の弛緩しきった数カットで、金払って見る価値がゼロなことに気づいた。映像も駄目なら、ストーリーも昼ドラ並みの時代遅れ(まあ古い映画だからしょうがないけど、当時の水準からみても古くさいと思う)な展開で、2時間があまりにつらかった。

何より気に入らないのは、ニーチェの言葉というよりニーチェについての通俗的な解釈に出て来がちな言葉を切り貼りしてニーチェの人物像を固めようとしてる浅薄さがあまりに見え透いてて、こいつ絶対まともにニーチェ読んだことないだろよ、とほとんど瞬間的に見抜くことができる。こうした2流監督の手にかかるとニーチェもイタリア中で見かけそうなただの脂ぎった好色なオヤジにしか見えず、私がニーチェ信者なら途中で「こんなニーチェは嫌だ!」とたまらず退館してたと思われる。

大体ニーチェの発狂も、さもサロメに見限られた上の孤独によるものというようにふざけた解釈をしていて、ニーチェが見たら「人間的な、あまりに人間的な!」とこきおろすこと間違いない。
パウルの殺しのシーンとかもかなりヴィスコンティを意識してるのが分かるんだけど、クソだ。
あー、ドミニク・サンダ好きだったのにこの映画見てから急速に冷めてしまったよ。

あとは、どうでもいいことだが、ノーカット上映だけあってチ○コのオンパレードでした。最初は、わー、チ○コ見えてらぁと心の中ではしゃいでたんだが、ラスト近くで発狂するニーチェの幻覚の中で二人の青年がチ○コ全開で踊るシーンあたりになるとさすがに気持ち悪くなってきて、なんで金払ってチ○コばっか見せられなきゃならんんのだ、と真剣に腹が立ってきた。

そんなわけで、「愛の嵐」と一緒に記憶の彼方に葬り去りたい映画になったね。
posted by onion_slice at 20:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヨーロッパ
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