2008年10月13日

パラノイドパーク

スケート少年が集まる「パラノイドパーク」。近くを走る線路で鉄道警備員を死なせてしまった主人公アレックスのモノローグで綴られる作品。

学校に刑事が来てアレックスから事情聴取するシーンなどもあるのだが、この犯人追い詰めプロットはほとんど宙吊りにされる。少年の犯した罪を裁くというより、少年が罪の意識から逃げたり格闘したり、あるいは人に打ち明けたいができずにいる孤独といった内面の移ろいを描くことに焦点を当てている作品だ。監督ガス・ヴァン・サントはこういう心の動きを何気ない描写でとても繊細に表現できる人で、アレックスがシャワーを浴びながらずっと頭を抱え込むシーンなんか秀逸だと思う。

アレックス演じる少年は演技はこれが初めての素人らしいが、むしろ素人ならではの飾らない存在感が新鮮で、どんな少年少女にも訪れる可能性のある日常の悲劇にリアリティを与えている。それにしてもあの無表情ぶりはすごい。某映画DBを見てたらカミュの「異邦人」にたとえているコメントがあったが、確かにどこか実存主義小説を思わせるような虚無感を湛えている。

個人的にはコロンバイン高校の乱射事件を題材にした「エレファント」の方が好きだけど、こっちがよいという人も多いだろうな。クリストファー・ドイルが肌に合わないのと、音楽の使い方がややうっとうしいと感じたので大好きな一作とまでは行かなかったが、よくできた映画だとは思う。アレックスの彼女役テイラー・モムゼンはかなり可愛いのでそれだけでも要チェックかもしれません。


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2005年09月23日

青の稲妻(2002,中国)

監督ジャ・ジャンクー。英題"Unknown Pleasures"。

大同という都市を舞台に、二人の若者ビンビンとシャオジーが政治・経済構造の激変する現代中国のリアリティと対峙し、生きていく姿を描いたストーリー。

マーティン・スコセッシが絶賛したとか、NYタイムズが「ゴダールとタランティーノの融合」(うさんくさいな)とべた褒めしたとかDVDパッケージにある。確かに、ビンビンとシャオジー、それからチャオチャオという少女の3人が駆け抜けていく刹那的日常は「勝手にしやがれ」を想起させるし、シャオジーが喫茶店でティム・ロスとアマンダ・プラマーの強盗シーンを真似したり、続くクラブのシーンではまんまトラボルタ&サーマン踊りを披露する様は「パルプ・フィクション」に対する監督の憧れを感じる。ただ、この作品のどこを切り取っても「勝手にしやがれ」の瑞々しさと「パルプ」のプッツンさに及ぶシーンはなく、「融合」という言葉は大げさだ。

映画は最後まで緩慢に流れ、突出した出来事はほとんど起こらない。しかし、中国のWTO加盟とか、北京オリンピック開催決定とか法輪功とかいう時代背景をバックグラウンドに、それらの変化の波を感じながらも虚無的に受け止める若者を描いたジャンクーの視点は、初期のジム・ジャームッシュとか暴力シーンを除いた北野武に通じるものがあって(ちなみに、なにげに冒頭のクレジットロールで「オフィスキタノ」の文字が出てくる)、ああいうデッドパンな演出が好きな人には琴線に触れる部分があると思う。個人的には今一歩といった感じではあるが。

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2005年09月22日

夜になるまえに(2000,米)

「バスキア」を撮った、画家出身の監督ジュリアン・シュナーベルによる、キューバの反体制作家レイナルド・アレナスの伝記映画。

アレナスは革命後のハバナで男色に溺れていき、性の解放を掲げて次々に男と寝る傍ら作家として小説を書き連ねるが、小説の扱うテーマが体制から危険視され、ホモだという理由だけで逮捕されてしまう。そして牢獄に入れられてもひたすら自分の体験を書き続け、原稿を外に運ばせ出版を試み、最後はキューバからNYへ亡命して作家活動を続けるというすごい人物だ(しかし、自分の国にホモと犯罪者と精神病者はいらないといって自由に国外退去させるカストロもすごい)。

アレナスを演じるハビエル・バルデムの、いかにも男色らしいクネクネした妖しさは適役。それからビッグネームが二つ、ジョニー・デップとショーン・ペン。映画ファンにはかなり垂涎の的である組み合わせだと思うのだが、この二人の絡みを期待するファンとしては、両者がただの脇役でまるで絡みもないことに多少失望させられる。デップはまだ、刑務所内のオカマの運び屋&中尉という二役あって彼なりの存在感を示してるのでいいけど、ショーン・ペンはどこに出てるかさえわかりませんでした。「バスキア」の時も、ヴィンセント・ギャロが1カットだけ出てたように、この監督は役者をカメオ的にチョロッと出すのが好きみたいだ。

「バスキア」は平凡なサクセス&破滅ストーリーという感じであまり面白くなかったけど、本作はアレナスの破天荒な人生を追う滑舌のよい演出がなかなか気に入った。原作もぜひ読んでみたい。

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2005年09月18日

ケン・パーク(2002,米)

"KIDS","BULLY"と、アメリカのティーンの性と生を描いてきたラリー・クラーク。脚本に相棒ハーモニー・コリンを迎えてまたまた同じテーマで撮ったのが本作。

ケン・パークってのは登場人物の一人なんだが、彼は冒頭とラスト以外にはまるで出てくることはなく、他の4人の少年少女が共通に知っているらしき自殺した友人として映画につきまとう亡霊のような存在だ。

4人の主役は、ショーン、クロード、ピーチズ、テート。ショーンはガールフレンドがいながらその若いママと昼間からHするロクデナシ、クロードはアル中でプーのマッチョ親父にビビりながら家出を考えるスケボー少年、ピーチズはその可愛い名前(なぜに複数形?)とは裏腹な可愛くない顔でボーイフレンドをたらしこみ、SMチックなセックスにふけってるところを聖書好きな親父に見咎められるアジア系の少女、一番の変わり者テートは祖父母と3人暮らしで、優しいおばあちゃんのことを"fxxxin' bixxh"扱いして、最後は夫婦一緒に殺してしまう人間失格男である。
この4人の日常が順繰りに綴られながら、最後はショーンとクロードとピーチズで3Pして、「セックスが哲学である島」に行ってやりまくる夢想について語り合う、というそんなお話だ。

クラークの性描写には妙な生々しさがあって、「KIDS」はもとより、それよりインパクトの薄い「BULLY」でも、彼しか撮れない独特のリアリティを放っていた。しかし今作だと、性のシーンがややシャープさとビビッドさに欠ける気がする。ショーンが彼女のママにクンニするシーンはそんなに悪くないけど、テートが女テニス選手(たぶんクルニコワ)をテレビで見ながらオナニーするシーンや、最後の3Pシーンはかなり退屈。「KIDS」はかなりショッキングだったけど、だんだんマンネリになってきたのかもね。
ハードな性描写をのぞくと、後は相変わらず大した見所はない。これでクラークの作品見たのは3本だけど、映画監督としての腕前はこんなもんだろって感じ。

ちなみにカメオ出演として、ラストでケンが働いてるホットドッグ屋か何かの店の店主がクラークです。人好きのするおっさんという印象である。

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2005年08月20日

キャスティング・ディレクター(1998,米)

DVDのパッケージを見て、ショーン・ペン、ケヴィン・スペイシー、チャズ・パルミンテリ共演という、おっと思う役者の組み合わせに目を引かれ借りてみた。
パッケージの裏のあらすじを読むと、映画産業の内幕を批判したコメディのように書いてあり、事実日本語タイトルもそうした内容を示唆してるんだけど、中身は映画製作というテーマとはほとんど無関係。原題は"Hurlyburly"といって、演劇が原作らしい。監督はアンソニー・ドラザン、他のキャストはショーン・ペンの奥さんロビン・ライト・ペン、妖婦的な魅力漂う"X-MEN"のアンナ・パキン、それから意外というか、上のキャスト陣には一見そぐわない、メインストリームすぎる印象を受けるメグ・ライアン。

で、ストーリーだけど、映画業界で働いているらしきエディ(ペン)とミッキー(スペイシー)はルームメイトで、エディの彼女(ロビン・ライト・ペン)とミッキーが一夜をともにしたことから微妙な仲にある。パルミンテリ演じるフィルは頭からっぽの喧嘩好き人間で、エディやミッキーから笑い者にされてる。3人のダチ公が、友情でつながってる振りをしながら実はお互いを軽蔑していて、それでもお互いを必要としている、そういう奇妙な関係を軸にして、女や人生についてのマシンガントークがひたすら展開されていく。

演劇が原作なので台詞の多さが特徴的だが、ちょい饒舌すぎるのが難点。ただ、それも日本語字幕の貧弱な語彙の繰り返しからそう思えるだけかもしれず、英語で細かい表現までわかれば役者の長広舌ももっと魅力に感じることができるのだろう。

この作品の売りはまあなんといっても、ペンとスペイシーという個性派役者の演技合戦にあって、相変わらずオーバーアクション気味のショーン・ペンと、シニカルな渋さで勝負するスペイシーの個人技の出し合いを見てるだけで飽きない面白さがある。女たちはやや蚊帳の外に押しやられてる感じだが、それぞれユニークな演技を見せてくれる。

いわばミドルエイジ・クライシスっつーのか、人生が楽しいことだらけであふれてた年齢を脱して現実の皮相さに直面しつつある中年男どもの危機をコミカルに描き出してて、なかなか楽しめる一作でありました。

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2005年07月09日

モーターサイクル・ダイアリーズ(2004,米)

エルネスト・チェ・ゲバラの若者時代の南米放浪旅行記を映画化したロード・ムービー。監督はブラジル人ウォルター・サレス。ゲバラ役は、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの「アモーレス・ぺロス」の好演が印象深いガエル・ガルシア・ベルナル。

キューバ革命のゲリラとして名を馳せる前の、将来を決めかねている若者が南米を横断する旅の中でぼんやりと、人の役に立ちたい、世の中を変えたいという決意を秘めていく正統路線の青年映画だ。ロードムービーとしてはかなり陳腐かつ退屈なんだが、ベルナルの自然体の演技と、彼がともに旅をする年長の友人とのやんちゃなノリがいくらか見れる作品にしてくれている。

旅のハイライトであるペルーは、マチュピチュ遺跡の存在感が荘厳。そしてハンセン病患者が偏見によって川の向こうへと隔離されていて、次の目的地への出発の前夜、喘息もちのゲバラが流されそうになりながらも患者たちに声援を与えられ、彼らに別れを告げるため川を泳ぎきるシーンはかなりじーんとくる。

バイクで旅する医学生のゲバラもよいが、マルクシスト・ファイターとしてのゲバラも見たい。ゲバラとカストロが少数精鋭のゲリラを率いてバティスタ政権を打倒するキューバ革命を描いた映画ってないんだろうか。

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2005年06月26日

バスキア(1996,米)

神田の古書店でジュリアン・シュナーベルの画集を手に取ってぱらぱらめくってて、シュナーベルが撮ったこの映画のことをなんとなく思い出したんで観てみた。思い出したといっても当時観てないので初見だ、いまさら。

映画界に首をつっこむアーティストとしては、シュナーベルともう一人、やはり80〜90年代にもてはやされたロバート・ロンゴなんて人もいたが、ロンゴの「JM」はつまらんかった。ウィリアム・ギブソンの退屈なサイバーパンク小説を退屈なコンピュータグラフィクスで色付した3流映画は、まだスピルバーグとかルーカスの映画の方がましと思わせるもので、一応、当時のおげーじゅつ畑のスポークスマンの一人的な存在だったやつがスターウォーズと同レベルのSFアクションを撮ってどうすんの、てな具合だ。単に娯楽SFなのにアート的メッセージを伝えたがってる中途半端さ加減がたまらなく邪道だ。

で、シュナーベルはどうかというと、ロンゴに劣らず退屈だった。
キャストは、よくこんだけ集められたなという個性的な顔が揃ってて、バスキアを演じるジェフリー・ライトを取り巻くのは、ウォーホルを演じるデビッド・ボウイ、デニス・ホッパー、ベニチオ・デル・トロ、ゲーリー・オールドマンにクリストファー・ウォーケン、わずか1カット登場のウィレム・デフォーに、一回観ただけじゃどこに出ていたかまずわからないヴィンセント・ギャロ、それからでかい口がみるからにスケベなコートニー・ラブといった、とりあえず観てみたいという好奇心を起こさせるメンツである。
ボウイの演じるウォーホルは、あのギークスな風貌と仕種をうまくとらえていて面白い。ボウイとホッパーの2ショットなんて意外なものも見物ではある。
音楽を担当してるのも、ジョン・ケールとビル・ラズウェルという、ロック界の前衛代表が2人もついて、一部のマニアには垂涎ものなんだろう。

しかし異色キャスティングという視点を離れると、スターになっても心の空洞を抱え、クスリで若死した画家を描いたひたすら凡庸なポートレイトに過ぎない。社会の底辺で成功を夢見る→スターになる→大衆からの背離を感じる→ヘロインに溺れる、つーわかりやすい図式を何の工夫もみられない演出とキャメラワークでなぞってくだけの駄作だった。

80年代、90年代へのノスタルジーとしてはいいんだろうけど、映画としちゃ箸にも棒にも引っかからないってやつだ。シュナーベルがもう映画を撮とうなんて気を起こさないことを祈る、あーめん(実際は、2000年にキューバの作家アレナスの代表作「夜になるまえに」を監督。次の作品もアナウンスされてます)。

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2005年06月01日

ルールズ・オブ・アトラクション(2002,米)

「レザボア・ドッグズ」や「トゥルー・ロマンス」、「パルプ・フィクション」つー、タランティーノをスターダムに押し上げた作品群の裏にはつねにロジャー・エイヴァリーがいた。彼がこれらの作品に共同執筆者としてどれぐらい寄与したかはわからないが、エイヴァリーと決別後のタランティーノ映画のトーンが明らかに違ってきていることから、初期のタランティーノ映画の少なくない部分がエイヴァリー的なテイストで染められていることが想像できる。

94年にエイヴァリーが初監督した「キリング・ゾーイ」は、「レザボア」や「ユージュアル・サスペクツ」と並んで90年代ノワールの傑作と言っていい。
その後8年経ってようやくメガホンを撮った第2作は、「ゾーイ」のダークで退廃的なムードとはがらりと変わった作品だ。アメリカの大学内で学生たちがドラッグにセックスに入り浸り、バックではつねにロックがかかってるといった、ストレートといえばこれほどストレートなものもないアナーキーな群像路線。一応、3人の男女(一人はゲイ)の三角関係を中心にそえてはいるがストーリーはないに等しく、かなり乱用すれすれのTV的な視覚効果をポップに駆使して、ひたすらヤリたい盛りの男女のジコチュー生活を追っかける。

90年代的な感性をひきずり過ぎ、という印象も多少あるが、90年代の若者映画に特徴的な退屈きわまるネガティビティーを排して、最後まで「ピンクフラミンゴ」ばりに品性を欠いたパワーで押し切る演出は嫌いじゃない。
頭を空っぽにしたいときに見るには持ってこいの映画だな。

つーわけで、エイヴァリーにはタラちゃんとは違った独自の路線を開拓していってほしい。

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2005年04月14日

珈琲時光(2003,日)

ホウ・シャオシェンが小津安二郎の生誕百周年記念に撮った「珈琲時光」。
一青窈(ひととよう)演じる日本人の女の子が妊娠してることを両親に告げ、男友達(浅野忠信)と喫茶店で珈琲を飲み、中央線やら山手線やら電車であちこち移動してる、ただそれだけの地味〜な小品だけど、俳諧のように淡く、静かな情緒で東京の下町を俯瞰する演出はよい。高円寺の都丸書店なんぞが出てくるあたり、かなりコアだよ。
ラストの山手線で、浅野忠信ののっぺりとした存在感と一青窈のほのぼのとした雰囲気のコンビがやや間延びした感じでカメラに収まってるのがグッド。一見誰にでも撮れそうな作品だが、なかなか撮れない作品だ。

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2005年04月02日

ドリーマーズ(2003,伊)

個人的には、ベルトルッチの作品は「ラストエンペラー」以後、「シェルスカ」を例外としてほとんど傑作はおろか秀作と呼びうる作品も生み出してないと思ってる。新作の「ドリーマーズ」も予想を裏切らないつまらなさだった。
ストーリーは、68年パリの騒乱を背景に、映画とセックスにふける3人の男女を描いている。2人は双子の姉と弟(あるいは兄と妹)で、男を演じるのはフィリップ・ガレルの息子ルイ・ガレルだ。もう一人の男、マシューはパリに留学にきてるアメリカの青年でラリー・クラークの、"BULLY"で舌足らずでパッパラパーなヤクチュウ少年を演じたマイケル・ピット。双子の女を演じるエヴァ・グリーンとかいう女優は無名だが、オッパイはでかくて綺麗だ。

つまんねーと思ったのは、ベルトルッチの、ヌーヴェルヴァーグやらハリウッド・クラシックやら60年代のロックやパリの革命的な空気への、しらじらしいオマージュの数々だ。ゴダールの「はなればなれに」で、3人の男女がルーブルを全力疾走で駆けていくシーンをそっくりそのまま再現して、オリジナル・シーンに重ねるあたりではかなりしらけてしまう。頻繁に出てくる映画のシーン当てごっこも、昔のフィルムを引用しすぎであくびを我慢するのが難しい。

あと、68年パリの鬪爭についても、デモのシーンをぱっぱっと見せて、あたりさわりのない議論をルイ・ガレルとマイケル・ピットにさせてるだけで、この作品がかなりインスピレーションを負っていると思われる「中国女」(両親の留守中にアナーキー遊戯にふけるという設定がとくにね)みたいに、政治を、映画を通してラディカルに批判するまじめさが感じられない。この人はただ60年代の雰囲気を撮りたかっただけなのだろう、と思ってしまう。
こういう、ファシズムとか革命という言葉と戯れたがるイデオロギー遊戯的な傾向はベルトルッチの昔の作品からあったが、演出上の斬新さが相殺してくれてた。しかし「ドリーマーズ」はそれもなく、ただ若咲きで終わってしまった監督の痛々しいノスタルジーだけが見られるのみだ。

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2005年01月10日

Bully(2001,米)

「Kids(1995)」で、アメリカのティーンの危ない日常を厳しく、かつ澄み切った眼差しで撮ったラリー・クラークの2001年作。同じく、ドラッグとセックスに明け暮れるティーンにスポットを当てて、群れの中でボス面して暴君的に振舞う少年が仲間に殺されるまでを描いていて、実話がベース。暴力と性描写の生々しさはクラークの面目躍如といった感じだ。それは、タランティーノみたいな、子供が昆虫を殺すような無邪気なバイオレンスの連鎖とは違い、突然銃が暴発するように現前する暴力の緊迫感というのが映画中の空気に絶えず潜伏している印象を受ける。ただ、「Kids」に比べるとインパクトに欠け、間延びしたようにも見える。本業が写真家なんで、「Kids」のように表現者としての監督が介在しない、ティーンたちに好き勝手行動させてただドキュメンタリー的な視点に徹するという形式の作品は、即興風の趣向で撮られた写真が自律的に動いているようで、それまでになかった新しい視点の映画が現れたという感覚だった。それに比べると今回のは、やや登場人物がコントロールされているというか、映画的な構成という制約に多少縛られている感じはあった。
まあ、それを差し置いても、やはりクラークにしか撮れないものには違いない。ちなみに、最後に主人公マーティ(ブラッド・レンフロ)の家を包囲し、彼を捕まえる警官は、1993年に起きた実際の事件で彼を捕まえた本物の警官が演じているとのこと。ボビー・ケント事件の裁判の経緯は知らないが、ティーンたちのほとんどが無期懲役以上の罰をくらってるのに驚いた。最後のちくりあいのくだりは、法の埒外にあるはずの仲間間の道義といったものさえ持ってないティーンたちのうすっぺらさというものがよく表されてて面白かったが。
posted by onion_slice at 20:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 群像

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