2009年05月30日

「パンと裏通り/トラベラー」

キアロスタミの処女短編・長編の「パンと裏通り(1970)」「トラベラー(1974)」を見る。

「パンと裏通り」はたった13分の作品だが、その後のキアロスタミのユニークな映画センスがたっぷり濃縮されて詰まっている。ビートルズの"Ob-La-Di,Ob-La-Da"のジャズ版みたいなのが流れる中、買い物にいく少年が石蹴りをしていくあのシーンだけで、瞬時に映画的幸福感を満たしてくれる。

「トラベラー」は、サッカーのチケットを手に入れるために親も友達もだまして苦い目にあう少年の話で、可哀想な結末には同情しながらも可笑しい気分にさせられる不思議なユーモアがある。

とにかく子供の使い方にかけては映画史上まれにみる天才というしかない。ハリウッドの子役に見られるこましゃくれた演技臭とは対極にあるあの天真爛漫な子供らしさはどうやって演出しているんだろう、と映画を見ている間中も見終わった後も、解けない謎のように頭から離れない。

この人の映画を久しぶりに見るとやはり面白く、続けて、代表作の「友だちのうちはどこ?(1987)」と、その続編であり90年のイラン大地震のドキュメンタリーでもある「そして人生はつづく(1991)」も連続で見てしまった。


posted by onion_slice at 11:30 | Comment(0) | アジア
2008年10月29日

グエムル 漢江の怪物

平日の夜は仕事の息抜きということで、なるべく肩の凝らないアホな映画を観るのが好きだ。久しぶりに特撮物をと思いチョイスしたのは韓国の「グエムル」で、台湾・中国に続きまさかのアジア映画3連発となった(基本、アメ映画:欧州系:その他=6:3:1ぐらいのスタンスなので)。

で、この手の作品は期待3割引で鑑賞していかに駄作であったかをブログに書き連ねてスカッとするのが常なのだが、これが予想に反して非常に面白かった。

化学物質汚染により漢江に巨大な魚類のような怪物が生まれ次々に人を食っていく。そこに主人公カンドゥの娘も食われてしまうことから、カンドゥと家族が力を合わせて怪物に立ち向かう、という話。

プロット的にはごくありきたりの怪獣映画を踏襲したつくりになっている。怪獣が現れたことによるパニックと、それに立ち向かう人たちの勇気。怪獣誕生の背景に米軍の秘密実験がほのめかされるが、物語進行上の小道具以上の伏線ではなく、適当に脚本の味付けとして使われる(というか、単にアメリカを揶揄したかっただけかもしれない)。

素晴らしいのは、オーソドックスな怪獣映画の枠組みに従いながら、時折羽目をはずしすぎるぐらいのオフビートな笑いとか、家族の愛や団結といった泣きのシーンを絶妙な配置で織り交ぜて、単なる怪獣映画を超越した普遍的な面白さを獲得しているところにある。

怪獣が少女の命を脅かしているのに大人たちがあまり危機感もなく脱力系喜劇を演じているオフザケぶりというか脱線ぶり。ストレートに怪獣が現れるだけの映画なんか作ってもいまどき子供すら怖がらないので、この脱線につぐ脱線でなるべく楽しませ怪獣を倒すクライマックスを引き伸ばすのは抜群のエンターテインメント精神だと思う。
一方でしめるべき箇所はしめて、緊張感を与えたり涙腺に訴えかけたりする(多くはないが)。
この、ある意味古典的な映画の呼吸がよくできていましたね。

好きなシーンはいくつもあるが、強烈によいのは冒頭の漢江で初めて怪獣が現れるシーン。突然、日常に非日常が侵入したかのように怪獣がバッタバッタと人を撲殺していくパニックシーンは「GANTZ」っぽくてよい。それから、最後に兄弟が力を合わせて怪獣と対決するシーンはばかばかしいんだけどほろっとくる。

キャラ作りも手が込んでいて、カンドゥ役のおっさんはたけし軍団にいそうな感じのチャラい駄目中年っぷりがよい。ナムジュについては、個人的にこんな万年ジャージ妹がほしいと思ってしまった。

このポン・ジュノ監督の作品は有名な「殺人の追憶」すら観ていないので、これを機に食わず嫌いだった韓国映画の門を叩いてみようかなとも思う。


posted by onion_slice at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | アジア
2008年10月18日

長江哀歌

ジャ・ジャンクーの2006年ベネチア金獅子賞受賞作品。

16年前に別れた妻と娘に会いに山西から長江の三峡にくる炭鉱夫サンミン。同じく2年間別々に過ごしていた夫に会いに来る女性シェン・ホン。
だが山峡では巨大なダムの建設が進行中で、かつての街は人々の記憶とともに水の下に沈み、残っている人たちも移住を強いられていた。変わり行く街を目にし、二人の主人公が時の流れ、時代の変化に向かい合い過去と決別をつける姿を描く。

映像は素晴らしい。
中国の経済発展に伴う大きな社会構造の変化に直面して、過去の記憶へのノスタルジーを抱きつつ現実を見つめる主人公の内面が、どのワンカットをとっても、登場人物が言葉を発する必要がないほど映像によって雄弁に語られつくしている。

と、優れた映画であることを認めた上で正直にいうが、この作品の緩慢さはさすがに退屈すぎ。後半は拷問に近いものを感じた。この映画に当然ストーリー性は邪魔にしかならないと思うが、今のつくりでもっと短ければ。。短編映画だったら100点をあげるのに。という意見は、アメ映画のファストフード的なペースに毒された悪しき視聴習慣から来るものだとお叱りを受けそうですが。。(笑)個人的に静物画的な映画って、好きじゃないんだよな。

普段から絵画とか写真等をゆったり鑑賞するのが好きな方には珠玉の一作だと思う。そうでなければ、精神的には「ホステル」以上の拷問映画かもしれない。


posted by onion_slice at 23:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | アジア
2008年10月17日

西瓜

急にアジア物が観たくなる。しかし近所のTSUTAYA行くとペヨンジュン他つまらん韓流しか置いていない体たらく。仕方ないからちょっと離れた吉祥寺のTSUTAYAへ行くと、観たいと思ってた映画候補の内かろうじて2作見つかった。台湾のツァイ・ミンリャンの「西瓜」と、中国はジャ・ジャンクーの「長江哀歌」だ。「長江」は明日にとっておいて、今日は「西瓜」を観た。

映画好きのはしくれとして恥ずかしいが、ミンリャンの映画は初見。この「西瓜」は2005年作品だが、2001年の「ふたつの時、ふたりの時間」という作品の続編になっているようで、前作でパリと台北に離れ離れになった主人公の男女が街角で偶然再開する様子を描いているとのこと。

偶然の再会と聞くと、リチャード・リンクレイターの傑作恋愛映画「ビフォア・サンセット」のような淡いロマンスを思い浮かべてしまうところだが、そんな想像をハンマーで打ち砕くかのように、中身は完全にポルノグラフィだ。外国から帰ってきた女性シャンチーが偶然、公園で主人公の男シャオカンを発見し再会を喜ぶ。しかしシャオカンは昔の時計売りからAV男優に転身しており、そのことをシャンチーに打ち明けられない。さらにシャオカンがエロビデオの撮影をしているのがシャンチーのマンションであり、シャンチーと楽しい時間をすごす裏でポルノの仕事に精を出している。

このポルノ描写が相当過激。いろんな体位での挿入、自慰行為、精液ぶっかけあり、寝てるのか死んでるのかよく分からない日本女相手の絡みと何でもありだ。ラストが口内射精で終わる映画なんて生まれて始めて観ました(笑)。あのシーンの間抜けな沈黙はすごい。

「ラスト、コーション」のアン・リーといい、台湾人はなかなかスケベが多いようだ。ただ、この「西瓜」は単にスケベだけでなく、観てておかしくなるスケベというか、過激な描写なんだけどスキャンダラスな感じはあまりなく、職業上もはや惰性で性行為をしているような主人公の疲れた様子をコミカルにとらえているからか、妙にほほえましい。ところどころ挿まれるミュージカルも変てこだがユーモアにあふれていて楽しい。

また、エロだけでなく、シャンチーとシャオカンが過ごす何気ない時間を描いたシーンでも、シャンチーが足指でタバコを挿みシャオカンが吸う、というジム・ジャームッシュのオマージュっぽいカットなんかもあり玄人好みの演出も見せている。

個人的には、結構ハジけた映画で気に入りましたね。最後のアレは好きなラストシーンベスト30ぐらいに入るかも。


posted by onion_slice at 23:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | アジア

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